意識(クオリア)と哲学的ゾンビ

哲学的ゾンビ。

こんな言葉をご存知でしょうか。

「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。

自分はこの議題がとっても好きである。

何が面白いか。

それは「目の前の他者が普通の人間なのか哲学的ゾンビかは確かめようがない」からである。

何故確かめようがないのか。

それは上記の通り、物理的化学的電気的反応としては人間そのものの反応をするからである。

哲学的ゾンビが物理的にお腹が減れば腹の虫は鳴るし、「お腹が空いた」と発言をすることもあるかもしれない。

しかし、実際にその哲学的ゾンビにはクオリアというものは存在しておらず、単に物理的に空腹状態を迎えたため、上記のような行動をとるのである。

この時、他者はその生物が「本当に意識を持っているかどうか」は、今現代の技術手法では、如何ようによっても知りようがないのである。

例えば人の心を読むことができる人であれば、意識の有無を確認できるのではないかという議論も出来そうであるが、個人の解釈としてはNOである。

メンタリストとして名を挙げている人物もいると思うが、彼らは外的要素(例えば瞬きの数が多いであったり、舌を出すであったり)で心理的動向を推定しているに他ならない。

よって人間が緊張状態に置かれた時に上記の瞬き等の行動をするのであれば、哲学的ゾンビも同様の行動をするはずであり、やはりクオリアを確認することはできない。

もう一つ。

クオリアを確認することができないということは、例えば自分以外の他者が哲学的ゾンビでなく、普通の人間であったとしても、世界が自分と同じように写っているかも確認することができない。

自分が幼少期の頃、「青」という色が大好きだった。

ただ、自分の周りには「赤」が好きな子もいれば、「緑」が好きな子もいる。

 

この事実に、当時どうしても納得いかなかった。

 

だってどう見ても考えても「青」が一番良い色じゃないか!!なんて思っていた。

 

その時僕は、「人によって見えている色はそれぞれで、赤や緑が好きなひとは自分にとっての青と同じように見えているに違いない!」なんて思ったりもした。

とまぁ、他者のクオリアは絶対に確認しようがないのである。

これを読んだあなた。

 

今自分の周りにいるヒトたちは、実は哲学的ゾンビかもしれません。

 

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ぴっぴ

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身体の80%以上がビールでできています。 好きな形は平行四辺形です。 好きな言葉は「我思う故に我あり」です。

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